Slackbot

Slackbotは知っている。

 

何時何分あなたが私をグループから外したか。

 

Slackbotは教えてくれた。

 

退く意志を伝えに行って煙に巻かれた面談直後。

 

優しいっぽい言葉でも態度でも。

 

続けることもできるんだよ。可能性を示しても。

 

希望を見出しても。

 

Slackbotははっきりと

 

あなたの意志を私に伝えた。

 

 

非日常から戻ってきた後もしばらくはカオス

同級生にあって思うこと。

 

私にとって大事だった子が結婚した。

 

あの子が私に目指すものがあってすごいと言ってくれたことを覚えている。

 

聞きたくなる歌声を持ってるあの子。

 

目指したものが、自分にとって目指すべきじゃなかったことが悲しい。

 

もがいて終わったことが悲しい。

 

あの子に申し訳ないような気持ちになる。

 

あのときは、あんなにぞくぞくしていたのに。ずっと知るべきことが溢れてくるのは素敵だと思ってたのに。

 

人生をかけるのにこんなにいいものはないって思っていたのにね。

 

思いが重すぎたのかな。あのオッサンがいうように、分不相応だったのかな。

 

臨床心理士さんは、身体的に緊張しやすいんだといった。ホントかなあ。

 

体を緩ませることでなんとか今はできてるみたい。

 

体を緩ませることも私にとっては結構難しいけどね。最近になってできるようになってきた。

 

けど同級生で集まると、体が昔のモードに入ってカチカチになってしまう。心は荒れてしまう。

 

調子崩れるなあ。

 

もっと若いときは、コミュ障だけどみんなといるのは楽しいんだと、楽しさを感じようと頑張ってたな。

 

身体的には緊張しやすいから苦しいのにね。

 

でも身体的に緊張しやすいだけなのに、付き合い悪いとか嫌な奴に思われるの嫌だもんな。

 

 

 

 

No

「どこかの議員じゃないですけど、2番じゃ駄目なんですか?」と言われたことがある。

 

その人は私が1番になりたいと思っているという前提で話をしていた。実際の私の考えを聞くことはしなかった。

 

私は、自分が普通じゃないと思っていた。母からそう扱われたり言われたりしていたものあるが、普段から普通の人との間にギャップがあるのを感じていたからだ。

 

私なりに、その人の言葉の背景を考えると、私の頑張りが空回っていたからそう言われたのだと思った。

 

私は普通の人との差を埋めるために必死だった。研究という普通の人にとってもイレギュラーな世界で、なんとか追いつかないとと思っていた。特にあの頃は、学振を取った二人が同期だったから、それが普通の基準になっていた。

 

二人の指導教員は、ガンガン実績を積ませて行くスタイルで、私の指導教員は卒業までに一本博士論文出せればいいというスタイルだった。だからホントはあの二人に合わせる必要なんてなかったんだろうけど、合わせないと雰囲気にも関わると思っていた。あの研究室は元あったコミュニティに別のコミュニティが入ってきて間もない、いや間もなくもないけどという感じで、仲良くする姿勢が大事だったから。断絶の方が簡単だったから繋がないといけなかった。そう思っていた。書いてて思ったけど、そんなん私が気にする必要ないことだったんじゃないか?

まあいいや。

 

なんだっけ、そうそう、1番になりたいとガツガツしてるって思われるほど必死だったんだろうな。と思ったって話だ。

そして多分、その人が私にそれを言わないといけなかったのは、私が焦ることで急き立てられて害を被っていたのがその人だからだと思う。

 

その人の評は的外れで攻撃的で死にたくなるくらい辛かったけど、私に伝わるべきだったことは伝わっている。あんなに頑張らないでよかったってことだ。私は思ったより普通の人だったよ。

許してるように見えるのか?これが。

自分の表情が自分の感情と違う受け取られ方をしたことがある。その内で強く覚えているのが2回ある。1つが、昔私に八つ当たりしていた元キャプテンと電車で偶然会ったときに許してくれるんだと驚かれてこっちが驚いたこと。ん何々なんでそうなったん。挨拶と世間話しただけよね。虐めについて一言も触れとらんよね?電車内じゃけんって必死に笑顔たもっとったけん?何なん。もう一つが、副指導教員に主指導教員の赤ペンだらけの計画書第四稿を送ったときに、なんの確認もなしに頭ごなしに主指導通してないだろうと叱られた後に、顔色伺うだけ伺いに来て、なんか適当に別の話題くっちゃべってから、そのまま何も謝らずに去っていきなさったことかな。愛想笑い崩さんかったのを許してると解釈されたんかね。学校じゃし教授相手じゃし作業中じゃし人の目があるしでキレられんし。今考えてもやっぱりキレんでよかったって思うよ。教授相手とはいえ、他の人がおる前でやったことバラすのは駄目じゃない?知らんけど。学生だった私は複数人おるSlackグループで教授に叱責された訳だけど。しんどかった。恥ずかしかった。気まずかった。居た堪れなかった。わざわざ私が作業部屋におるときに来たんじゃけん、愛想笑い崩さんかったのに文句いいんさんなよ。

 

 

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普通に追いつこうとすることには

ちゃんと出来るようにならないと、皆の普通に追いつかないと、という思いがあった。今でも時々それが暴走しそうになる。歪んでるんだろうけど、と認識してはいた。けれどこの考え方を捨てたら気が緩んで普通になれなくなる。と思っていた。研究室にいた頃の普通の基準は二人の同級生だった。チームはそれぞれ違うから、やることは違うけど、取り組む姿勢とか質問の質とか研究室運営については、二人と同じようにできるようにならなきゃ、チームが違うからって言い訳できないと思っていた。学振などを申請する時期になると、同じようにできないといけないという思いは、実績にも及んだ。学会に参加した先でこんなものを食べたとか、学振組で地元の観光地に行こうと盛り上がっているのを見ると、私は普通じゃないという焦りでどうにかなりそうだった。

退学手続きモヤモヤ録 上

退学の意志を伝えに行ったときのこと。

悲しみや憎しみが溢れてきてきまうから言葉にするのは難しい。けれど、一つずつ書き出してみようと思う。

退学の意志を伝えに行ったのは、休学の期限の一ヶ月前だった。でも、意気込んでいた私に先生は複数の選択肢を示し、私の好きなように決めたらいいと言った。休学の延長もできることを言ったり、JREC−INという研究職の求人サイトを見せてくれたりした。モヤモヤは気の所為だったのかな、私が勝手に気にして辛くなってただけだったのかな、と思った。すぐにでも退学届を出すつもりで行ったが、そこまで親身にしてもらったので、退学については再度考えると言った。ここで先生は、来月の中旬まで〇〇により連絡が取れない。研究室にもいない。といったので、ではまた来月中旬以降にという話で終わった。

 

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